〔オリンピック〕五輪初出場のプラカードは「NIPPON」

日本のオリンピック参加は1912年(明治45年)の第5回ストックホルム大会(スウェーデン)が最初であった。

日本からの参加選手は陸上競技の2人で、短距離走の三島弥彦(東京帝国大学(現:東京大学))とマラソンの金栗四三(東京高等師範学校(現:筑波大学))。また、団長に嘉納治五郎、監督に大森兵蔵の布陣であった。

開会式が行われたのは1912年7月6日。日本は参加28カ国の中で10番目に入場した。三島が日の丸を掲げ、金栗がプラカードを持って歩いた。そのプラカードの国名は「NIPPON」であった。「NIPPON」のプラカードは初参加のこの日限りで、以後は「JAPAN」が使用されている。

日本はこの時、公的には「JAPAN」を認めていなかった。熊本出身の金栗は漢字表記の「日本」にすべしと主張した。米国暮らしの経験がある大森監督は外国人にも分かるように「JAPAN」がいいと意見が分かれた。困った嘉納団長が導き出した結論が、ローマ字表記の「NIPPON」だったというわけだ。

日本の国名決定が遅くなったため、大会組織委員会の扱いは「JAPAN」のままであり、入場行進の順番はイタリア(ITALY)とルクセンブルク(LUXENBOURG)の間であった。

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