1888年(明治21年)のこの日、文部省(現:文部科学省)がすべての学校に毎年4月に生徒の「活力検査」(身体検査)を実施するよう訓令した。
日本では、1871年(明治4年)に文部省を創設。翌1872年(明治5年)、全国に日本最初の近代的学校制度を定めた教育基本法令の「学制」が公布された。
フランスの学校制度にならい、全国を学区に分けて学校設立を計画。公布に際し、「被仰出書」(おおせいだされしょ)を出して、「必ず邑(むら)に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す」と述べて、その理念を示した。
当初の「活力検査」の検査項目は、体長・体重・臀囲(でんい:尻のまわり)・胸囲・指極(しきょく:両手を水平に伸ばした時の長さ)・力量・握力・肺量であった。
その後、1897年(明治30年)に「活力検査」は全面的に改められ、「学生生徒身体検査規程」が公布された。これにより、体力検査的な項目は削除され、発育に関係のある身長・体重・胸囲などが残された。