東京23区は最初から23区だったわけではなく、何度かの編制が行われていて、最初は15区、その後35区、そして現在の23区となった。東京都が23区になった経緯とその理由を確認してみる。
東京23区はおおよそ江戸時代の城下町にあたるエリアに相当する。1818年(文政元年)、江戸図に朱色の線を引き、城下町の範囲を定めたものが朱引内(御府内ともいう)で、この朱引の内側が1868年(明治元年)、東京府となった。
1878年(明治11年)、郡区町村編制法が制定され、東京府は麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川の15区に分けられた。1888年(明治21年)、市制・町村制が制定され、翌年の1889年(明治22年)に15区を市域とする東京市が誕生した。
戦後の1947年(昭和22)3月には、35区から22区に統合され、同年8月に広大だった板橋区のエリアを板橋区と練馬区に分けて、現在の23区となった。東京の都心を占める15区はマッカーサーの指令のもと、戦争で弱体化した各区の財政力を強化するため、すべて統合され、区名も大きく変わっている。変更内容については東京市35区の旧区名と現在の東京23区の比較一覧を参照。