戦後間もなく、お米屋さんは選挙で選ばれていた。これはお米の値段を不当に上げたり、粗悪な米を混ぜたりしないようにするため。
第二次世界大戦中から戦後まではお米は配給制で、お米屋さんはなくなっていた。その後、配給制度がなくなり、民間でお米屋さんを始めることになった。当時、お米屋さんになりたい人は立候補し、大都市で500人、それ以外では300人の票が必要で、信頼されている人しかお米屋さんにはなれなかった。お米屋さんの選挙が行われたのは、1951年(昭和26年)、1952年(昭和27年)の過去2回だけ。その後、お米の流通が安定したため選挙制度は廃止された。
2016/10/26
カテゴリー「歴史・文化」