1607年(慶長12年)のこの日、出雲阿国(いずもの おくに)が江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めて「かぶき踊り」を披露した。
出雲阿国は、安土桃山時代の女性芸能者で、少女による小歌踊り「ややこ踊り」を基にして「かぶき踊り」を創始したことで知られており、この「かぶき踊り」が様々な変遷を得て、現在の「歌舞伎」が出来上がっている。
彼女が出雲出身かどうかは明確になっていないが、出雲大社の巫女となり、慶長の前の文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったと言われている。
「かぶき」の由来は、「傾く(かたむく)」の古語にあたる「傾く(かぶく)」の連用形を名詞化したものだと言われている。派手な衣装や一風変わった異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った。「かぶき踊り」は、そんな「かぶき者」の斬新な動きや派手な装いを取り入れた踊りであった。