岡山県瀬戸内市に事務局を置き、全国の駄菓子メーカーなどで結成された「DAGASHIで世界を笑顔にする会」が2015年(平成27年)に制定。
日付はお菓子の神様・菓祖として知られる田道間守(たじまもり)公を祀る和歌山県海南市の橘本(きつもと)神社の前山和範宮司の提唱により、田道間守公の命日とされる3月12日に。
日本の精神・文化が凝縮された駄菓子業界の活性化と、DAGASHIを世界平和のキーワードとして世界中の人々に知ってもらうことが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
「駄菓子の日」ではなく「だがしの日」なのは、子どもたちにも分かりやすくとの大人の配慮である。この日には、同会の主催によりゲームをして駄菓子が貰えるイベントなどが開催される。
昭和の駄菓子(昭和なつかし博覧会)
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現在の駄菓子(駄菓子バー レトロモダン)
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『日本書紀』『古事記』の説話に基づいて田道間守を菓子の神・菓祖とする信仰があり、兵庫県豊岡市の中嶋(なかしま)神社では「田道間守命」(たじまもりのみこと)の神名で菓子神として祀っている。この中嶋神社の分霊は、福岡県太宰府市の太宰府天満宮、京都府京都市の吉田神社など全国各地で祀られ、菓子業者の信仰を集めている。
田道間守(『前賢故実』より)
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田道間守は、新羅の王子・天日槍(アメノヒボコ)の5世の子孫で、『日本書紀』に記される垂仁(すいにん)天皇の命により海の彼方にある「常世の国」(とこよのくに)から「非時香菓」(ときじくのかくのみ)を持ち帰ったとされる人物である。非時香菓とはタチバナ(橘)の実のこと。その昔、果物は「菓子」といわれ、橘は菓子の最上級品とされたことから、菓子神・菓祖として崇敬される。
橘本神社の元の鎮座地「六本樹の丘」は田道間守が持ち帰った橘が初めて移植された地であると伝えられ、これが後にミカンになったとする伝承がある。
中嶋神社・橘本神社では4月に「菓子祭」という例祭が行われ、全国の菓子屋から各種の菓子が供えられるほか、全国の製菓業者が多数参列して業界の繁栄を祈願する。また、橘本神社の一帯はミカンの産地であり、10月に「みかん祭」という田道間守が日本にミカンをもたらしたことに因む例祭が行われる。
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