昭和前期の詩人・伊東静雄(いとう しずお)の1953年(昭和28年)の忌日。
季節の花にちなみ「菜の花忌」と呼ばれる。3月最終日曜日に諌早市の諌早公園で追悼行事が行われる。この日とは別に、2月12日の小説家・司馬遼太郎の忌日も「菜の花忌」と呼ばれている。
1906年(明治39年)12月10日に長崎県諫早市に生まれる。京都帝国大学文学部国文科を卒業。中学校の教諭となる。詩作は大学卒業の頃より始め、教壇に立ちながら続ける。
1932年(昭和7年)、同人誌『呂』を創刊。後に同人誌『コギト』『日本浪曼派』に参加する。1935年(昭和10年)に第一詩集であり代表作『わがひとに与ふる哀歌』を発行。萩原朔太郎から「日本にまだ一人、詩人が残っていた」と賞賛を受け一気に名声を高める。
1940年(昭和15年)に第二詩集『夏花』、1943年(昭和18年)に第三詩集『春のいそぎ』、1947年(昭和22年)に第四詩集『反響』を刊行。肺結核により46歳で死去。静雄の業績を記念し、1990年(平成2年)に諫早市の伊東静雄顕彰委員会により、優れた現代詩を賞する「伊東静雄賞」が創設された。