901年(延喜元年)のこの日、右大臣・菅原道真(すがわら の みちざね)が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷された。
彼の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと策略し「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言(ざんげん:人を悪く言うこと)した。
これにより、天皇も道真のことを逆臣と思い込むようになり、901年1月20日に菅原道真を太宰権帥(だざいのごんのそち:大宰府の長官である大宰帥(だざいのそち)の権官)に左遷、筑紫国(現:福岡県)に流罪とすることとした。
長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」と詠み、この日、京の都を旅立った。その梅は都の菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行ってそこに根づいたという「太宰府の飛梅(とびうめ)」の伝説がある。
菅原道真は無念の思いを抱きながら、2年後の903年(延喜3年)2月25日に59歳で亡くなった。毎月25日は各地の天満宮で「縁日」となっている。
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