1815年のこの日、エルバ島に流刑されていたナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769~1821年)が島を脱出してパリに向かった。
1814年、フランスの北東にはオーストリア・プロイセン軍、北西にはスウェーデン軍、南方にはイギリス軍の大軍がフランス国境を固め、大包囲網によりフランス帝国の首都パリは陥落した。
ナポレオンは外交によって退位と終戦を目指したが、マルモン元帥らの裏切りによって無条件に退位させられ、フォンテーヌブロー条約の締結の後、地中海コルシカ島とイタリア本土の間にあるエルバ島の小領主として追放された。
1815年、ナポレオンはエルバ島を脱出し、パリに戻って復位を成し遂げた。ナポレオンは自由主義的な新憲法を発布し、自身に批判的な勢力との妥協を試みた。そして、連合国に講和を提案したが拒否され、結局戦争へと進んでいく。
しかし、緒戦では勝利したもののイギリス・プロイセンの連合軍にワーテルローの戦いで完敗してナポレオンの復位は幕を閉じた。帰国して復位してから再びその地位を追われるまでの、およそ100日間の一時的支配を「百日天下」という。