大正・昭和時代の歌人・精神科医の斎藤茂吉(さいとう もきち)の1953年(昭和28年)の忌日。
生誕の地である山形県上山市では、この日に近い日曜日に斎藤茂吉記念館の主催により「茂吉忌合同歌会」が開催される。関連する記念日として、斎藤茂吉の生誕日に由来して5月14日は「斎藤茂吉記念日」となっている。
1882年(明治15年)5月14日に山形県南村山郡金瓶(かなかめ)村(現:上山市金瓶)に生まれる。東京帝国大学医科大学(現:東京大学医学部)を卒業。精神科医の道に進む。
一方で伊藤左千夫に師事して1908年(明治41年)の『アララギ』創刊に参加。1913年(大正2年)の第一歌集『赤光』は、万葉語を自由に駆使し強い生命感への欲求をうたった歌風で注目された。以降、生涯アララギ派の中心的存在として活躍した。
また、研究・評論の業績も多く、大著『柿本人麿』は帝国学士院賞を受賞。帝国芸術院会員。文化勲章受章。心臓喘息のため70歳で死去。その他に歌集『あらたま』『白き山』『ともしび』、歌論集『童馬漫語』などがある。