1869年(明治2年)のこの日、明治政府が貨幣を円形として金銀銅の貨幣を鋳造する円貨の制度を定めた。
通貨政策を担当していた大隈重信はそれまでの「両」に代えて最初に提案したのは「元」だった。結果として「元」ではなく「円」になったわけだが、その理由は、日本銀行の貨幣博物館では以下の3つの説を紹介している。
①楕円形、四角形など複数あった形を持ち運びしやすいよう円形に統一した。②製造モデルとなった香港銀貨「壱円」をまねた。③円銀などと呼ばれていた中国の円形通貨が伝わった。
この他にも諸説があるが、火災で経過をたどる公文書が消失しており、証拠となる史料がないため、どれが正しいかは分かっていない。