飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ)の724年(神亀元年)の忌日。
この日は「人麿忌」または「人丸忌」ともされる。月遅れの4月第2日曜日に兵庫県明石市の柿本神社で例祭が行われる。
660年(斉明6年)頃の生まれとされる。名は「人麿」または「人丸」とも表記される。持統・文武両天皇に仕える。『万葉集』第一の歌人といわれる。
主な作品は689年(持統3年)~700年(文武4年)の間に作られており、皇子・皇女の死に際しての挽歌や天皇の行幸に供奉しての作が多いところから、歌をもって宮廷に仕えた宮廷詩人であったと考えられる。
人麻呂作と明記された歌は『万葉集』中に長歌16首・短歌61首を数え、ほかに『柿本人麻呂歌集』の歌とされるものが長短含めて約370首におよぶ。質・量ともに『万葉集』最大の歌人で、さらにその雄渾にして修辞を尽くした作風は日本詩歌史に独歩する存在とみなされる。
後世、奈良時代の歌人・山部赤人と共に「歌聖」と呼ばれ、称えられている。また、平安時代の歌人・藤原公任の『三十六人撰』に載っている和歌の名人36人「三十六歌仙」の一人である。