定家忌(8月20日 記念日)

平安時代末期~鎌倉時代初期の公家・歌人である藤原定家(ふじわら の ていか/さだいえ)の1241年(仁治2年)の忌日(旧暦)。

名前の「定家」は「ていか」と音読みされることが多く、「定家忌」は「ていかき」と読む。

藤原定家

藤原定家について

1162年(応保2年)生まれ。父は公家・歌人の藤原俊成(ふじわら の しゅんぜい/としなり)、母は女房・歌人の美福門院加賀(びふくもんいんのかが)。初名は光季・季光。法名は明静(みょうじょう)。別名として京極中納言(きょうごくちゅうなごん)と称される。

父のあとを継いで有心体(うしんたい)の象徴的歌風を確立し、歌壇の指導者として活躍。『新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)』『新勅撰和歌集(しんちょくせんわかしゅう)』の撰者となる。

また、武士・歌人の宇都宮頼綱(うつのみや よりつな)に依頼され、『小倉百人一首(おぐら ひゃくにんいっしゅ)』も撰した。定家自身の作で百人一首に収められているのは、「来ぬ人を まつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ」。

一方で、『源氏物語(げんじものがたり)』『土佐日記(とさにっき)』などの古典の書写・校訂にも大きな功績を残す。この際に用いた仮名遣いが「定家仮名遣(ていかかなづかい)」のもととなり、明治時代に至るまで一定の支持を得る。また、『松浦宮物語(まつらのみやものがたり)』の作者は定家とする説が有力である。

1241年(仁治2年)、80歳で死去。その他の著書に、2000年(平成12年)に国宝に指定された日記『明月記(めいげつき)』や家集『拾遺愚草(しゅういぐそう)』、歌論書『近代秀歌(きんだいしゅうか)』『毎月抄(まいげつしょう)』『詠歌大概(えいがたいがい)』などがある。

リンクWikipediaコトバンク

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カテゴリー「8月の記念日」「今日は何の日

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