江戸時代前期~中期の俳人・森川許六(もりかわ きょりく、1656~1715年)の忌日(旧暦)。
1656年(明暦2年)8月14日生まれ。近江国(現:滋賀県)彦根藩士。名は百仲(ももなか)。別号に五老井(ごろうせい)・菊阿仏(きくあぶつ)など。松尾芭蕉(まつお ばしょう、1644~1694年)晩年の門人で、蕉門十哲(しょうもんじってつ)の一人。
武士として剣術・馬術・槍術に通じる。また、若い頃から漢詩を修め、絵画は狩野探幽(かのう たんゆう)の弟で奥絵師の狩野安信(かのう やすのぶ)に学ぶ。和歌や俳諧は初め北村季吟(きたむら きぎん)などに学び、談林派(だんりんは)の俳諧に属す。
1692年(元禄5年)、公務で江戸に出た際、深川にいた芭蕉に入門する。六芸に通じた多芸の才人であることから「許六」の号を芭蕉より授けられる。許六が芭蕉から指導を受けたのは10ヵ月に満たないが、芭蕉は許六に俳諧を教え、許六は芭蕉に絵を教えたと伝えられる。
1693年(元禄6年)、彦根に帰る際に芭蕉から『柴門之辞(さいもんのじ)』と俳諧の奥伝書を授けられる。芭蕉没後は継承者を自任し、蕉風の理念を掲げて彦根俳壇の指導者として活躍する。
1715年(正徳5年)8月26日、59歳で死去。著書に『俳諧問答(はいかいもんどう)』『風俗文選(ふうぞくもんぜん)』『歴代滑稽伝(れきだいこっけいでん)』などがある。