1875年(明治8年)のこの日、東京・王子の「抄紙会社」の工場で営業運転を開始した。
抄紙会社は、実業家・渋沢栄一(しぶさわ えいいち、1840~1931年)が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたもので、明治時代に入ってから間もない1873年(明治6年)に設立された。輸入に頼っていた洋紙の国産化を企図した会社であり、王子製紙の前身となった。
王子製紙の社名は、創業した東京・王子の地名に由来する。その後、合併を繰り返し、国内市場8割以上を握る巨大製紙会社へと発展していった。その規模から「大王子製紙」と称された。
戦後の財閥解体政策によって過度経済力集中排除法の対象となり、1949年(昭和24年)に解体された。後継会社は苫小牧製紙・本州製紙・十條製紙の3社である。この3社はその後の再編により、現在の王子ホールディングス(旧:苫小牧・本州)と日本製紙(旧:十條)になっている。
身近な家庭用の商品として、王子ネピアが製造・販売するティシュやトイレットロールのブランド「ネピア(nepia)」がある。ネピアの商品には、他にもキッチンタオルやウエットティシュ、マスク、紙おむつなどがある。
また、渋沢栄一は、第一国立銀行(後:第一銀行・第一勧業銀行、現:みずほ銀行)や東京瓦斯(東京ガス)、東京海上火災保険(現:東京海上日動火災保険)、田園都市(現:東急)、帝国ホテル、東京証券取引所、麒麟麦酒(現:キリンホールディングス)、サッポロビール(現:サッポロホールディングス)、東洋紡績(現:東洋紡)などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」と称される。理化学研究所の創設者でもある。