大正~昭和時代の俳人・鉱山学者の山口青邨(やまぐち せいそん、1892~1988年)の忌日。
冬の季語。
1892年(明治25年)5月10日、岩手県盛岡市に生まれる。本名は吉郎(きちろう)。父は士族の家柄。1916年(大正5年)、東京帝国大学(現:東京大学)工科大学採鉱科を卒業。
古河鉱業(現:古河機械金属)に入社後、退職して農商務省技師として鉱山省に勤務。1921年(大正10年)、母校・東京大学工学部の助教授。後に教授となり、鉱山学を講じる。1922年(大正11年)、結婚。
一方、同1922年より俳人・高浜虚子(たかはま きょし)に師事。同年、水原秋桜子(みずはら しゅうおうし)らと東大俳句会を結成。写生に根差した清純・高雅な作風により俳句雑誌『ホトトギス』の代表的俳人として活躍する。
1930年(昭和5年)、盛岡市で俳句雑誌『夏草(なつくさ)』を創刊、選者の後に主宰。翌1931年(昭和6年)、東京・杉並区和田本町に転居。多くの植物を愛で、後に自ら「雑草園(ざっそうえん)」と称し、句集の題にも取る。
1953年(昭和28年)、東京大学教授を定年退職し、同大学の名誉教授となる。1988年(昭和63年)12月15日、96歳で死去。
著書として、第一句集『雑草園』(1934年)の他、句集『雪国(ゆきぐに)』(1942年)、『露団々(つゆだんだん)』(1946年)、随筆『花のある随筆』(1934年)、『草庵春秋(そうあんしゅんじゅう)』(1943年)などがある。
没後、蔵書は岩手県北上市にある日本現代詩歌文学館に収蔵された。また、長く住んだ「雑草園」も同館の別館として移築・保存されている。