織田信長は「占いに根拠がないこと」を証明しようとした

映画やドラマで数多く描かれてきた織田信長(1534~1582)は、天下統一のため何万という人の命を奪うなど残忍な性格で知られているが、信長は得体の知れないものや不思議なものに人一倍興味を持っていて、本当かどうかを確かめること自体に興味を持っていたという。

そんな信長のエピソードにネッシーのような怪物を探そうとしたことがある。江戸時代の「信長公記(しんちょうこうき)」という古文書に記されている逸話で、「裏の池で人間では抱えきれないほどの大きな大蛇を見た」という男の話を聞きつけた信長は、近隣の百姓を呼び出して、池の水を全部空にするために桶で水を汲み出させる人海戦術を行った。信長はふんどし一丁になって、その池の中に飛び込んで大蛇を探したが、大蛇はいなかったという。この信長の行動は当時の日本ではあり得ない行動で、迷信や不思議な生き物が住んでいると信じている日本人の時代に、知恵と権力による人海戦術で確かめようという所が信長の特徴と言える。

明日の命の保証がない生きるか死ぬかの戦国時代には占いが物事を決める中心であった。子どもが生まれたら一緒に出てきた胎盤を埋める日時や、赤ちゃん用の桶である沐浴(もくよく)桶を作る時間、死人を棺桶に入れる納棺の時間も占いで決めていた。

そんな時代に信長は「占いに根拠なし」と証明しようとしたことがある。「朝野雑載(ちょうやざっさい)」(書写年不明)に記されている内容で、「信長と同年同月同日同時に生まれしものを尋ね出し給う」という自分と同じ時間に生まれた人を探す御触れを出した。当時の占いは生年月日が同じであれば、同じような運命をたどるということを基本としており、同じ時間に生まれた男がどういう人生をたどったか自分の人生と比較すれば占いが正しいかどうかが分かると考えたのだ。

その結果一人の男が見つかったが、天下人どころか極貧の男であった。そのため、信長は「やはり占いに根拠はない」と確信した。しかし、その極貧の男は意外な言葉を残したのだった。それは、「上様と私に差はありません。天下人でも貧しくとも明日のことが分からないのは同じなのです。」というもの。極貧の男は、信長もいつか極貧になるかもしれないし、星が同じなら自分が天下人になるかはまだ分かったことではない、ということを言ったのであろう。その言葉の通り、1582年の本能寺の変で信長は暗殺されてしまった。

しかし、こうした信長の行動が日本の発展に貢献しており、信長という稀有なトップが生まれたことにより、日本人は一気に宗教・迷信・超自然的なものよりも現実主義者になっていった。こうして人々の占いへの依存は徐々に薄くなり、明治時代には政府が「占いにより行事の日時を決定する政治は近代国家にふさわしくない」という方針を出した。日本はアジア諸国の中でいち早く近代化に成功したのだった。

2016/10/17

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カテゴリー「歴史・文化

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