渋谷の地下「しぶちか」の経営が成り立つ理由

渋谷駅前のスクランブル交差点の地下に「しぶちか」がある。総延長150mの中に35店舗ある。その多くが昭和の香りを残し、地上の最先端の街とは別世界である。そんなしぶちかは客の数は少なめであるが、シャッター店はない。

しぶちかは少し特殊で、地上の商店街の賃料と比べるとかなり安い。渋谷駅周辺の賃料は1坪あたり最高30万円もする一等地である。一方、しぶちかの賃料はとにかく安く、1坪あたり3~4万円である。その理由は戦後しぶちかが誕生したきっかけがポイントになっている。

通称ヤミ市と呼ばれ、戦後渋谷駅の周りには食品やタバコなどを販売する露天商が多くいたが、1949年(昭和24年)にGHQによるヤミ市の解散令でヤミ市は禁止になった。職を失った露天商たちは東京都から地下街の建築許可を取得し、しぶちかを作ろうとした。

しかし、1952年(昭和27年)に建築許可を取得したが、建築する資金がなかった。そこで、当時渋谷の開発に乗り出していた東急電鉄に頼ることになった。大きな売り場面積を確保できる地下は魅力的な場所であり、東急電鉄の出資により地下街が完成した。東急が1500坪に東光ストア(現:東急フードショー)を建て、残りの150坪に露天商たちのしぶちかができた。

この時、あくまで建築許可を取得したのはしぶちかの露店商であったため、家主である東急電鉄は格安で場所を貸すことを承認した。そんな経緯があるため、現在でもしぶちかの賃料は安くなっている。

さらにしぶちかの経営が成り立つ理由がもう1つある。

それは子孫が代々継承する世襲制であることで、現在のしぶちかの店主は親から店を受け継いだ人が多い。そのため、長い付き合いのお客さんを持っており、それが店の強みとなっている。跡継ぎがいない場合は、しぶちか内の店だけが権利を買い取ることができ、しぶちか内で店舗を拡大しているため、約60年経った今でもシャッター店を出さずに営業ができている。

ちなみに、しぶちかにはダンス用品の専門店が多い。渋谷公園通りに有名な「Chacott」というバレエダンス用品の専門店があり、渋谷駅からChacottに向かうルート上にしぶちかがある。そのため、Chacottに向かう客をターゲットにしたダンスウェアやシューズなどのダンス用品が中心の品揃えとなっている。

リンクしぶちか

2017/7/7

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カテゴリー「歴史・文化

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