1958年(昭和33年)にわずか1年半の工期で東京タワーは完成された。東京タワーは日本のシンボルとして約60年間、東京の街を見守ってきた。
日本のシンボルである東京タワーは、スカイツリーができてもその人気は衰えていない。実際、2014年(平成26年)の東京タワーの来塔者数は197万人、2015年(平成27年)は228万人と増加している。東京タワーは電波塔としての役割を終えた今でも、日本人の心に根付いている。
田中角栄は、一般市民から内閣総理大臣にまで上り詰めた人物で、「今太閤」や「コンピュータ付きブルドーザー」とも呼ばれた。東京タワーが高さ333mであれだけの存在感があるのは、田中角栄の機転のおかげであるという。
1958年当時の建築基準法では高さ31mまでの建物しか建てることが出来なかった。東京タワーを建築物とみなすのであれば、高さ333mのものを建てることは出来なかった。そこで、当時、郵政大臣であった田中角栄が機転を利かせ、「東京タワーは建築物ではない。広告物である」として、建築基準法の適用外であると担当の大臣に主張させ、計画を押し切って実際に東京タワーが建設された。
ちなみに、東京タワーは当初、高さ380mで建設する予定であったが、資金不足により高さ333mになった。また、東京タワーはクレーンで鉄骨を上に運ぶ以外、職人たちがすべて手作業で造りあげ、その高い技術力は世界中で賞賛された。
2017/7/6
カテゴリー「歴史・文化」