鎌倉時代の僧で華厳宗中興の祖・明恵(みょうえ)上人の1232年(寛喜4年)の忌日。
明恵は、1173年(承安3年)1月8日に紀伊国有田郡(現:和歌山県有田川町)で生まれた。父は平重国、母は湯浅宗重の四女。法諱は高弁(こうべん)。
1206年(建永元年)、後鳥羽上皇から栂尾(とがのお)の地(現:京都市右京区梅ヶ畑栂尾町)を与えられ、山中に高山寺を創建した。また、宋から栄西(えいさい)が将来した茶を栂尾山で栽培したことでも知られる。60歳で死去。
数多くの著作を残したが、改新を唱えた法然(ほうねん)を批判した『摧邪輪(ざいじゃりん)』、自身の夢の記録『夢記』が有名である。