昭和後期・平成時代の小説家・劇作家の井上ひさし(いのうえ ひさし)の2010年(平成22年)の忌日。
「吉里吉里忌(きりきりき)」の名前は、代表作『吉里吉里人』にちなむ。没後5年にあたる2015年(平成27年)より、生まれ故郷・山形県川西町の 図書館と劇場からなる「川西町フレンドリープラザ」において、縁あるゲストを迎えて「吉里吉里忌」が開催されている。
1934年(昭和9年)11月17日、井上靖と競った文学青年の井上修吉を父とし、井上マスを母として現在の山形県川西町に生まれる。本名は廈(ひさし)。上智大学文学部仏語科を卒業。
大学在学中に浅草フランス座で働きながら戯曲や放送台本などを書き始める。卒業後は放送作家として活躍。1964年(昭和39年)に始まったNHK総合テレビの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を山元護久と共に手がけ、国民的人気番組となる。
戯曲『日本人のへそ』(1969年)が新しい喜劇として高く評価され、本格的に劇作に取り組む。『表裏源内蛙合戦』(1970年)、『道元の冒険』(1971年、岸田国士戯曲賞、芸術選奨文部大臣新人賞)で劇作家としての地位を確立。
小説では『手鎖心中』(1971年)で直木賞、『吉里吉里人』(1981年)で日本SF大賞、読売文学賞を受賞。作品は巧みな構成と豊かな言語センスを特徴とし、幅広い読者層を得る。
1983年(昭和58年)に劇団こまつ座を旗揚げし、『頭痛肩こり樋口一葉』(1984年)など力作を次々と上演する。戦争の真実を問う東京裁判(極東国際軍事裁判)三部作『夢の裂け目』(2001年)、『夢の泪』(2003年)、『夢の痂(かさぶた)』(2006年)が新国立劇場で上演される。
日本ペンクラブ会長、日本劇作家協会理事などを歴任。菊池寛賞(1999年)、日本芸術院賞・恩賜賞(2009年)などを受賞。文化功労者(2004年)、日本芸術院会員(2009年)。75歳で死去。
その他の作品に戯曲『藪原検校』(1973年)、『父と暮せば』(1994年)、小説『四千万歩の男』(1986年)、『東京セブンローズ』(1999年)などがある。