ヤマハ発動機株式会社が制定。日付は「ヨッ(4)ト(10)」と読む語呂合わせから。
ヤマハ発動機は、一般によく知られているオートバイ・スクーターなどの自動二輪車部門だけでなく、ボート、船外機、漁船、ヨット、マリンジェットなどのマリン製品の製造も行っている。
「ヨット(yacht)」は、レジャー用船艇を広く意味する言葉で、①個人船としては大型で豪華な遊行船と、②レースにも使われる縦帆を使った小型の帆船が含まれる。日本においては「ヨット」と言った場合、②の小型の帆船を意味することがほとんどである。
ヤマハヨットシリーズには、キャビン(船室)やベッド、トイレを備えている大型ヨットのセーリング・クルーザー(sailing cruiser)と、キャビンのない小型ヨットで競技にも使用されるディンギー(dinghy)がある。国体競技やオリンピックなど数多くのレースにおいて、ヤマハのレーシング・ディンギーは輝かしい実績を残している。レーシング・ディンギーの頂点である「ヤマハ 470CPG」は、全長4.75m、全幅1.73m、完成質量120kg、定員2名、価格約230万円である。
日本における「ヨット」の歴史は、1861年(文久元年)に長崎で英国人船大工が貿易商オルトの注文で建造し、当時の地元新聞で報道された「ファントム号」や、同年、外国人たちが開催したヨットレース「長崎レガッタ」が初めてのものとされている。また、1882年(明治15年)には横浜の本牧で日本人により初めて建造され、神奈川の葉山で帆走したことから、葉山港には「日本ヨット発祥の地」と刻まれた碑が建っている。
夏季オリンピックの競技種目として、「ヨット」の帆の表面を流れる風によって生ずる揚力を主な動力として、水上での滑走とその技術を競う「セーリング(sailing)」競技がある。1896年(明治29年)の近代オリンピック第1回アテネ大会の種目になっていたが、悪天候により実施されなかったため、1900年(明治33年)の第2回パリ大会において初めて競技が実施された。
「セーリング」で日本がオリンピックに参加したのは、1936年(昭和11年)の第11回ベルリン大会からである。1964年(昭和39年)の第18回東京大会でも華々しく実施され、東京オリンピック後にジュニアクラブが設立され、高校生・大学生の部活動、実業団のクラブ活動が盛んになった。
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