1877年(明治10年)のこの日、札幌農学校(現:北海道大学農学部)の基礎を築いた教頭・クラーク博士(1826~1886年)が、「Boys, be ambitious.(少年よ、大志を抱け)」という有名な言葉を残して北海道を去り、アメリカに帰国した。
本名はウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)であるが、日本では「クラーク博士」として知られる。クラーク博士は、1年前の1876年(明治9年)8月14日に日本初の官立農学校である札幌農学校が開校した際に、日本政府の熱烈な要請を受けて招かれた初代の教頭だった。その当時、クラーク博士はマサチューセッツ農科大学(現:マサチューセッツ大学アマースト校)の学長であり、その農科大学の1年間の休暇を利用しての訪日であった。
アメリカに帰国後、マサチューセッツ農科大学の運営に関する地元の理解が得られず、また、メディアによるクラーク学長の放漫財政批判などもあり、クラーク博士は学長を辞職した。その後、2年かけて世界一周して見聞を広めながら教育する「洋上大学」の開学を企画するが失敗。また、知人と共に鉱山会社を設立し、当初は大きな利益を上げたが、やがて会社は破産。その後、破産をめぐる裁判に訴えられて悩まされた。
晩年は心臓病にかかって寝たり起きたりの生活となり、1886年(明治19年)3月9日、失意のうちに59歳でこの世を去った。彼は帰国した後も札幌での生活を忘れることはなく、死の間際には「札幌で過ごした9ヵ月間こそ私の人生で最も輝かしい時だった」と言い残したと伝えられる。
クラーク博士を模して作られた像が多数あるが、北海道大学の古河記念講堂前に設置されている胸像「ウィリアム.S.クラーク胸像」、北海道札幌市豊平区羊ヶ丘のさっぽろ羊ヶ丘展望台の全身像「丘の上のクラーク」が有名である。