1888年(明治21年)のこの日、植物学者の伊藤圭介、数学者の菊池大麓、物理学者の山川健次郎など25人に日本初の博士号が文部省によって授与された。この時、法学博士、医学博士、工学博士、文学博士、理学博士の5種類の博士号が設けられた。
当時の博士号は論文の提出によるものではなく、教育への貢献を評価されたものだった。論文による本格的な博士が生まれたのは、それから3年後の1891年(明治24年)からである。また、当時は「博士」の上に「大博士」の学位があったが、該当者がないまま1898年(明治31年)に廃止された。
「はかせ」と「はくし」は異なり、博士(はかせ)は伝統ある大化の改新以来の官職で、学生を教育するのが役目だった。一方、明治になって定められた学位が博士(はくし)で、英語では「Doctor」(略:Dr.)である。博士の学位には「Doctor of Philosophy」とその略である「Ph.D.」も使われる。直訳すると「哲学博士」であるが、「Philosophy」には「高等な学問」という意味もあり、日本の博士号に相当する。
植物学者・男爵の伊藤圭介(いとう けいすけ、1803年(享和3年)~1901年(明治34年))は、「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作ったことでも知られる。1881年(明治14年)、東京大学理学部教授に任ぜられた。1901年(明治34年)、慢性胃腸炎のため98歳で亡くなったが、死の直前に学者として初の男爵を授けられた。
数学者・男爵の菊池大麓(きくち だいろく、1855年(安政2年)~1917年(大正6年))は、蕃書調所(ばんしょしらべしょ;東京大学の前身)で英語を学び、1867年(慶応3年)と1870年(明治3年)の2度に渡りイギリスに留学した。2度目の留学ではケンブリッジ大学で数学と物理学を学び学位を取得、帰国後1877年(明治10年)、東京大学理学部教授となり、近代数学を初めて日本にもたらした。
物理学者・男爵の山川健次郎(やまかわ けんじろう、1854年(安政元年)~1931年(昭和6年))は、1879年(明治12年)に東京大学理学部において日本人として初の物理学教授となった。1901年(明治34年)、48歳の若さで東京帝国大学総長となった。その後、1911年(明治44年)に九州帝国大学の初代総長、1914年(大正3年)に京都帝国大学総長にもなっている。
関連する記念日として、植物学者の牧野富太郎(まきの とみたろう、1862年(文久2年)~1957年(昭和32年))の誕生日に由来して、4月24日は「植物学の日」となっている。