1893年(明治26年)のこの日、文部省が訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告し、小学校の祝日・大祭日の唱歌に『君が代』『一月一日』『紀元節』など8曲が定められた。
『君が代』(きみがよ)は、平安時代の『古今和歌集』にある「読み人知らず」の和歌に、イギリスの軍楽隊長ジョン・フェントン(John Fenton、1831~1890年)が曲を作り、歌われていた。フェントンは、日本に国歌がないのを残念に思い、練習生を介して作曲を申し出たことが始まりとされる。
しかし、メロディーと歌詞が一致していないということなどで、それを宮内庁雅楽課の林広守(はやし ひろもり、1831~1896年)が現在の曲に作り替えた。1880年(明治13年)11月3日の天長節(てんちょうせつ:天皇の誕生日)において初めて宮中で演奏が行われた。
1999年(平成11年)8月9日、「国旗及び国歌に関する法」により正式に国歌として法制化され、同年8月13日に公布・施行された。『君が代』の歌詞は以下の通り。
『君が代』は、世界の国歌の中で、作詞者が最も古いと言われている。歌全体の意味としては「祝福を受ける人の長寿を祝う歌」や「天皇の治世を奉祝する歌」となる。
「きみ」は、主人・家長・友人・愛人などを意味する言葉。「さざれ石の いわおとなりて 苔のむすまで」とは「小石が成長して大きな岩となり、それに苔がはえるまで」の意味で、限りない悠久の年月を可視的なイメージとして表現したものである。
「さざれ石」とは「小さな石」のことで、日本では古くからそう呼んでいた。上の画像の石は、京都市左京区の下鴨神社(賀茂御祖神社)にある「さざれ石」である。さざれ石は、年とともに成長し、大きな岩になると信じられてきた。この巨石信仰の伝承は、日本の各地に存在する。