愛知県犬山市で草の根の平和活動を行っている「すいとんの会」が制定。
日付は1945年(昭和20年)8月15日の「終戦の日」は現在まで続く平和の始まりの日でもあるとして、平和を学ぶのにふさわしい日との思いから。子ども達に戦争や原爆の愚かさや悲惨さについて語り、戦時の代用食とされた「すいとん」を食べながら食糧難のことなどを話して平和の尊さを伝える。
記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日には戦時中のすいとんを食べ、過去の大戦を偲ぶ行事が日本全国で行われている。
すいとん(水団)は、小麦粉の生地を手で千切る、手で丸める、匙ですくうなどの方法で小さい塊に加工し、汁で煮た日本料理である。すいとんの歴史は長く、室町時代の書物に「水団」の字が見られる。
江戸時代から戦前は、すいとん専門の屋台や料理店が存在しており、当時の庶民の味として親しまれていた。大正の半ばには一旦かなり減少したが、関東大震災直後には食糧事情の悪化に合わせて焼け野原のいたるところに出現した。
第二次世界大戦末期から終戦にかけ、食糧事情の悪い時期の日本では主食の米に変わる代用食として、すいとんの名を借りた料理が作られた。戦争による物資に乏しい時代背景から小麦粉が不足していたため、大豆粉やトウモロコシ粉、高粱粉など、あるいは糠(ヌカ)などが混ぜられたものを材料としたことがあり、これらはとても本来のすいとんと呼べるような代物ではなかったという。
また、昆布・煮干・鰹節が入手できないために出汁は取られず、味噌・醤油・塩が不足していたためにまともな味付けの余裕も無かった。塩味を補うため、海水で煮るなどの調理も行われた。ほとんどの場合、野菜や肉などの具が入ることは無かったうえ、サツマイモの葉や蔓など本来、日本では捨てられる部位を具にしていた。
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