大正~昭和時代前期の詩人・八木重吉(やぎ じゅうきち、1898~1927年)の忌日。
「茶の花忌(ちゃのはなき)」の名称は、白い茶の花が咲く時期に由来する。この日には八木重吉記念館において詩を愛した重吉を偲び、「茶の花忌」が開催される。
1898年(明治31年)2月9日、東京府南多摩郡堺村(現:東京都町田市相原町)に三男二女の次男として生まれる。生家は代々農業を営む。
学生時代から英語を得意とする。文学にも興味を示し、学校内の詩の会にも参加。東京・駒込の教会で牧師・富永徳磨(とみなが とくま)から洗礼を受け、キリスト教に入信。後にキリスト教思想家・内村鑑三(うちむら かんぞう)の影響により無教会主義の信仰に近づく。
1921年(大正10年)、東京高等師範学校を卒業。同年、兵庫県御影師範学校の英語教師となる。翌1922年(大正11年)、島田とみと結婚。この頃より詩作を始め、1925年(大正14年)に第一詩集『秋の瞳(あきのひとみ)』を刊行。
詩人・佐藤惣之助(さとう そうのすけ)が主催する機関誌『詩之家(しのいえ)』の同人となる。その後、詩雑誌『日本詩人(にほんしじん)』などに詩作を発表する。しかし、1926年(大正15年)に体調を崩し、病臥(びょうが:病気で床につく)。
1927年(昭和2年)10月26日、神奈川県高座郡茅ヶ崎町(現:茅ヶ崎市)の自宅で結核のため死去。29歳。翌1928年(昭和3年)、生前自選の第二詩集『貧しき信徒(まずしきしんと)』が刊行された。
墓は郷里・町田市相原町の生家近くにある。1984年(昭和59年)には、生家の敷地内に八木重吉記念館が開設された。この記念館の開館を契機に、忌日の10月26日に対して「茶の花忌」の呼称が付けられた。