風祭忌(11月9日 記念日)

昭和~平成時代前期の小説家・八木義徳(やぎ よしのり、1911~1999年)の忌日。

「風祭忌(かざまつりき)」の名称は、第28回読売文学賞を受賞した小説『風祭(かざまつり)』(1976年)にちなむ。

八木義徳

八木義徳について

1911年(明治44年)10月21日、北海道胆振国室蘭郡室蘭町大字札幌通(現:室蘭市中央町)に次男として生まれる。

父・田中好治は東京帝国大学医科大学を卒業し、町立室蘭病院(現:市立室蘭総合病院)に務めていた。後に独立して室蘭市内に田中病院を開業。義徳は婚外子であり、八木は実母の姓。

室蘭中学校(現:北海道室蘭栄高等学校)で剣道部の先輩から教えてもらった劇作家・倉田百三(くらた ひゃくぞう)と小説家・有島武郎(ありしま たけお)を読んで文学に目覚める。1938年(昭和13年)、早稲田大学仏文科を卒業。小説家・横光利一(よこみつ りいち)に師事。

満州理化学工業に入社し大陸に渡る。1944年(昭和19年)、応召を受けて出征。同年、会社の勤務地であった満州奉天での見聞をまとめた『劉広福(リュウカンフウ)』で第19回芥川賞を受賞。

出征中の1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲により妻と子が焼死。翌1946年(昭和21年)復員し、妻子への思いを短編『母子鎮魂(ぼしちんこん)』に描く。

その後、自伝的な短編『私のソーニャ』(1948年)や『摩周湖(ましゅうこ)』(1971年)、『風祭』(1976年)などの代表作を書く。晩年になって評価が高まり、1988年(昭和63年)に第44回日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。翌年から日本芸術院会員。

1989年(平成元年)、勲三等瑞宝章を受章。1990年(平成2年)、『八木義徳全集』(全8巻・福武書店)が刊行され、第38回菊池寛賞を受賞。同年、室蘭市名誉市民に選出。

1999年(平成11年)11月9日、東京都町田市の多摩丘陵病院で死去。88歳。同年、故郷・北海道室蘭市の市立室蘭図書館附属文学資料館・港の文学館内に八木義徳記念室が開設された。

リンクWikipediaコトバンク室蘭市

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カテゴリー「11月の記念日」「今日は何の日

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