1925年(大正14年)に山手線の環状運転が開始され、東京を放射状に伸びる各路線を結んだ。これが便利だったため、山手線の外側にもう1つ環状路線をつくる計画があった。
この第二山手線は鉄道事業者の東京山手急行電鉄により計画されていた。当初の計画では大井町~中野~板橋~田端~洲崎(江東区)の約50kmを走る予定だった。
東京都世田谷区には第二山手線を想定して行われた工事の名残りがあり、明大前駅付近の陸橋には線路4本ぶんの橋桁がある。現在、京王電鉄井の頭線が2本通っており、残り2本が第二山手線となる予定だった。
この計画は1929年(昭和4年)に始まった世界恐慌の影響で頓挫した。この幻の路線ができていれば、東京の人の移動が現在とは大きく違っていただろう。
2017/8/20
カテゴリー「乗り物」