もみじ饅頭の起源には初代総理大臣・伊藤博文がかかわっていたという説がある。
伊藤博文が宮島の名所・紅葉谷の旅館「岩惣」の茶屋で休憩していた時、給仕した娘の手を見て「なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。食うたらさぞ美味しかろう」と冗談を言ったのを岩惣の女将が聞きとめ、和菓子屋がこの話をヒントにもみじ饅頭を考案したという。伊藤は当時から厳島びいきで知られ、たびたび島に滞在していた上、「女好きの好々爺」というイメージが民衆の間に確立していたこともあり、この説は広く受け入れられた。
もみじ饅頭を発案した人物は明治後期の宮島の和菓子職人・高津常助とされ、岩惣の女将から紅葉谷の名にふさわしい菓子を作れないかと依頼され、試行錯誤の結果、1906年(明治39年)に「紅葉形焼饅頭」を完成させた。和菓子屋「高津堂」として「元祖もみじ饅頭」を発売したが、早期に製造を止めてしまったため、複数の店舗が「元祖もみじ饅頭」を名乗る事態が現在まで続いている。その後、2009年(平成21年)に高津堂のもみじ饅頭は常助の孫の手によって復活している。
リンク:高津堂
2017/10/18
カテゴリー「食べ物」