1717年(享保2年)のこの日(旧暦)、大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)が江戸町奉行(南町奉行)に就任した。
「大岡裁き」と呼ばれる名裁判で有名であるが、19年間の在任中の裁判は3回だけで、そのうち忠相が執り行ったのは1回だけだった。
8代将軍・徳川吉宗の信頼が厚く、「享保の改革」と呼ばれる幕政改革を町奉行として支えた。
また、江戸の市中行政に携わったほか、裁判を行う機関である評定所の中心となる構成員「評定所一座」に加わり、関東周辺の農政を担当する「関東地方御用掛(かんとうじかたごようがかり)」や「寺社奉行」を務めた。
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