「雪池忌(ゆきちき)」は、幕末・明治の啓蒙思想家・教育者である福澤諭吉(ふくざわ ゆきち)の1901年(明治34年)の忌日。
墓のある東京都港区元麻布の「麻布山 善福寺」では、慶應義塾の関係者による法要が毎年行われている。
1835年1月10日(天保5年12月12日)に豊前国中津藩(現:大分県中津市)に生まれる。諭吉という名の由来は、儒学者でもあった父が『上諭条例』(清の乾隆帝治世下の法令を記録した書)を手に入れた夜に彼が生まれたことによる。
大坂で蘭学を緒方洪庵に学び、江戸に蘭学塾(のちの慶應義塾)を開設する。独学で英語を修得し、1860年(万延元年)に幕府の遣米使節に同行して咸臨丸(かんりんまる)で渡米。以後2回欧米を視察。帰国後、『西洋事情』を刊行し欧米文明の紹介に努める。
1868年(慶応4年)に芝・新銭座の塾を慶應義塾と名付け、教育活動に専念する。明六社の創立に参加し、『時事新報』を創刊。政治・時事・社会問題や婦人問題などに幅広く論説を発表する。また、『学問のすゝめ』は人間平等宣言と一身独立・一国独立の主張により、ベストセラーとなる。
晩年には『脱亜論』に見られるように、富国強兵政策を支持する。66歳で死去。葬儀では三田の自邸から善福寺まで1万5000人の会葬者が葬列に加わった。著書に『文明論之概略』『帝室論』『福翁自伝』『瘠我慢の説』などがある。