評論家・小説家の埴谷雄高(はにや ゆたか)の1997年(平成9年)の忌日。
この日には、有志により「アンドロメダ忌」という記念会が催される。その名前の由来は、埴谷が宇宙に強い関心を持ち、寝る前にオペラグラスでアンドロメダ星雲を眺め、思いを巡らせていたことにちなみ、本人がその名前を希望したとされる。
1909年(明治42年)12月19日に台湾の新竹に生まれる。本名は般若豊(はんにゃ ゆたか)。日本大学予科に在学中、左翼運動で検挙されて中退。日本共産党に入党するが、相次ぐ検挙、投獄ののち転向し、小説やアフォリズムを書き始める。
1946年(昭和21年)に雑誌『近代文学』の創刊に参加。革命運動の意味分析、自我と存在の形而上学を追求した長編小説『死霊』を連載する。戦後世代の思想形成に大きな影響を与え、第5章で日本文学大賞を受賞。1995年(平成7年)に第9章を発表するが作品としては未完に終わる。
脳梗塞により87歳で死去。その他の作品に評論集『濠渠と風車』『幻視のなかの政治』『罠と拍車』、短編集『虚空』、谷崎潤一郎賞を受賞した『闇のなかの黒い馬』などがある。