俳人・青木月斗(あおき げっと)の1949年(昭和24年)の忌日。
この日は「鶯忌」とも呼ばれる。
1879年(明治12年)11月20日に現在の大阪府大阪市中央区船場に生まれる。本名は新護(しんご)。別号に月兎(げっと)。家業の薬種業を継ぎ、かたわら俳句に親しむ。
正岡子規に認められ、大阪満月会、三日月会を結成して、1899年(明治32年)に俳誌『車百合』を創刊。1920年(大正9年)に俳誌『同人』を創刊・主宰。家業を廃して俳句一途の生活に入り、関西俳壇の中心として活動する。
肝硬変のため69歳で死去。辞世の句「臨終の庭に鶯鳴きにけり」。著作に『子規名句評釈』などがある。また、没後に句集『月斗翁句抄』(1950年)が刊行された。