1185年(寿永4年)のこの日、長門国赤間関(現:山口県下関市)の壇ノ浦で源平最後の合戦「壇ノ浦の戦い」が行われた。
序盤は平氏が優勢であったが、やがて劣勢となっていく。最終的に、平氏は源義経を総大将とする源氏の軍に敗れ、安徳天皇と二位尼(平時子)は三種の神器と共に入水、総大将の平宗盛も捕らえられ、栄華を誇った平家は滅亡した。
日本史上、最大規模の海戦の一つであり、この戦いにより6年間に渡る大規模な内乱は一応の幕を閉じた。また、この戦いで平氏政権が崩壊したことにより、同年に源頼朝を創設者とし、北条時政・北条義時らを中心とした坂東武士により鎌倉幕府が設立された。
下関市にある「赤間神宮」は、幼くして亡くなった安徳天皇を祀る神社であり、平家一門を祀る塚があることでも有名である。また、同市の「みもすそ川公園」は、壇ノ浦に面した場所であり、壇ノ浦古戦場址碑や安徳帝御入水之処碑、源義経と平知盛像が設置されている。