1827年のこの日、ドイツの作曲家・ピアニストのルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンがオーストリア帝国の首都ウィーンの自宅で亡くなった。
ドイツの作曲家・音楽家のヨハン・ゼバスティアン・バッハらと並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。
1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領のボンで生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手で、父も宮廷歌手(テノール)である。幼少期には酒好きの父から虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受ける。
1782年11歳の時よりドイツのオペラ作曲家・オルガン奏者のクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事する。1792年、オーストリアの作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、ウィーンに移住する。まもなく、ピアノの即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博す。
ハイドンやヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトから古典派様式を受け継ぎ、発展させて、独自の様式を築き上げる。晩年は聴力を失いながらも、交響曲・協奏曲・ピアノソナタ・弦楽四重奏曲などに傑作を数多く残す。肝硬変のため56歳で死去。
葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。作品には交響曲『第3番・英雄』『第5番・運命』『第6番・田園』『第9番・合唱付き』、『荘厳ミサ曲』、ピアノ協奏曲『皇帝』、ピアノソナタ『熱情』『月光』などがある。ハイドン、モーツァルトと並びウィーン古典派三大巨匠と呼ばれる。