詩人・小説家の室生犀星(むろう さいせい)の1962年(昭和37年)の忌日。
1889年(明治22年)8月1日に石川県金沢市で私生児として生まれる。生後まもなく、僧・室生真乗の養子となる。本名は照道(てるみち)。別号に魚眠洞。
裁判所・新聞社に勤務しながら俳句・詩作を始める。1910年(明治43年)に上京。1916年(大正5年)に萩原朔太郎らと詩誌『感情』を創刊する。
1918年(大正7年)に詩集『愛の詩集』『抒情小曲集』を刊行し、新進詩人として認められる。翌年、独特の感覚的表現を用いた自伝風の小説『幼年時代』『性に眼覚める頃』で散文の世界に入り、『あにいもうと』『女の図』(1935年)などを書く。1941年(昭和16年)に菊池寛賞を受賞する。
第2次世界大戦後、娘をモデルとした長編『杏っ子』(1958年)では読売文学賞を受賞。評論『我が愛する詩人の伝記』(1958年)で毎日出版文化賞を、古典を基にした『かげろふの日記遺文』(1959年)で野間文芸賞を受賞する。肺癌により72歳で死去。
『抒情小曲集』の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても/帰るところにあるまじや」の詩句が有名。この句の通り、文壇に盛名を得た1941年が最後の帰郷となり、以後は代わりに金沢にある犀川の写真を貼って故郷を偲んでいたという。