昭和時代後期の小説家・梶山季之(かじやま としゆき)の1975年(昭和50年)の忌日。
「梶葉忌(かじのはき)」の名前は、僧侶・小説家の今東光が命名した戒名に由来する。
1930年(昭和5年)1月2日、土木技師の父が朝鮮総督府に勤務していたため、朝鮮の京城で生まれる。広島高等師範学校(現:広島大学)国語科を卒業。
卒業後、上京して第15次『新思潮』に参加。ルポライターに転身後、『週刊文春』で巻頭を飾る記事を書く「トップ屋」として活躍する。1962年(昭和37年)、産業スパイの非情さを描いた小説『黒の試走車』で文壇にデビュー。
1963年(昭和38年)、『李朝残影』で直木賞候補となる。この作品は翌1964年(昭和39年)に美空ひばり主演でテレビドラマ化もされた。推理小説、風俗小説、時代小説などの分野に多くの作品を発表する。
あらゆるジャンルの作品を手掛けたが、生涯のテーマは、朝鮮・移民・原爆とも言われる。ライフワークである長編小説『積乱雲』の取材のために訪れた香港で、食道静脈瘤破裂と肝硬変により死去。45歳。
評論家・小説家の大宅壮一と同じ鎌倉瑞泉寺に葬られた。その他の作品に、『赤いダイヤ』上・下(1962~63年)、『影の凶器』(1964年)、『青い群像』(1969年)などがある。