明治から昭和前期の哲学者・西田幾多郎(にしだ きたろう)の1945年(昭和20年)の忌日。
「寸心忌(すんしんき)」の名称は、居士号の「寸心」にちなむ。この日には西田の遺徳を偲び、献花式や記念講演会が開催される。
1870年5月19日(明治3年4月19日)、加賀国河北郡森村(現:石川県かほく市森)に生まれる。東京帝国大学哲学科選科を卒業。
出身校の金沢・第四高等学校の講師・教授となる。この頃から物心両面の苦悩のうちに参禅の経験を重ねる。また、学習院の教授などを務める。
京都帝国大学の助教授・教授となり、倫理学や宗教学を講ずる。その間の1911年(明治44年)、近代日本哲学の最初の独創的著作となる『善の研究』を発表。「純粋経験」を唯一の実在としてそれを自己の根本的立場とする。
東洋的精神性の自覚を基礎に、西洋哲学を積極的に摂取し、東西思想の内面的統一を求めて、独特の「西田哲学」を樹立し、田辺元らと京都学派を形成する。1928年(昭和3年)退官後も活発な著作活動を続け、大正・昭和時代の哲学思想に大きな影響を与える。
1940年(昭和15年)に文化勲章を受章。神奈川県鎌倉市の自宅にて死去。74歳。その他の著作に『自覚に於ける直観と反省』『働くものから見るものへ』『哲学の根本問題』などがある。
2002年(平成14年)、出身地のかほく市(旧:宇ノ気町)に、西田の遺徳を顕彰し、哲学の普及・啓発を図ることを目的として「石川県西田幾多郎記念哲学館」が設置された。哲学館には展示室があり、西田の遺品や原稿、書などが展示されている。