理化学研究所(りかがくけんきゅうしょ)の英語表記は「Institute of Physical and Chemical Research」で、英略称は「RIKEN」である。
設立者総代は実業家の渋沢栄一(しぶさわ えいいち、1840~1931年)であった。理化学研究所の創立は遡ること1913年(大正2年)に、当時米国在住で、既にタカジアスターゼやアドレナリンの発見、工業化に大成功を収め、世界に名を轟かせていた化学者・実業家の高峰譲吉(たかみね じょうきち、1854~1922年)が、国民科学研究所の必要性を提唱したことに端を発する。
当時の財団法人理化学研究所は、1958年(昭和33年)に「理化学研究所法」に基づいて特殊法人となり、1957年から1966年の10年間かけて、現在の埼玉県和光市に移転した。1984年(昭和59年)にライフサイエンス筑波研究センター(現:筑波研究所)を筑波研究学園都市(茨城県つくば市)に開設した。その後、2003年(平成15年)10月に文部科学省所管の独立行政法人となった。
当サイトでは6月19日の記念日として「理化学研究所創設の日」を掲載していたが、理化学研究所の広報室の方からの問い合わせメールもあり、2023年(令和5年)6月に3月20日の記念日として「理化学研究所創立の日」に変更した経緯がある。
また、理化学研究所のWebサイト「創立までの歩み」にも創立した日として1917年(大正6年)3月20日が明記されている。以下、情報共有のため、広報室の方から頂いたメールの内容を一部変更の上で掲載する。
1915年(大正4年)6月19日に当時の首相・大隈重信(おおくま しげのぶ、1838~1922年)の自邸で理化学研究所設立協議会が開かれ、大隅が設立委員を委嘱(いしょく:特定の仕事を他の人に任せること)したという資料もあるが、それに先立つ同年6月初旬に開催された第36回帝国議会の衆議院での大議論の末、理化学研究所の設置が決まっている。
それを受けて、設立協議会での具体的な準備や1916年(大正5年)2月開催の第37回帝国議会での国庫補助法の制定などが進められ、財団法人理化学研究所は1917年(大正6年)3月20日に設立となった。
また、現在では毎年10月の第4月曜日を「理化学研究所の設立記念日」としている。戦後、理研は財団とみなされ一旦は解散、株式会社科学研究所となったが、戦後10年を経て科学技術庁が誕生し、その傘下として1958年(昭和33年)10月21日に特殊法人理化学研究所として再発足した日が設立記念日となっている。