大正・昭和時代の俳人・皆吉爽雨(みなよし そうう)の1983年(昭和58年)の忌日。
1902年(明治35年)2月7日、福井県福井市に生まれる。本名は皆吉大太郎(みなよし だいたろう)。福井中学校(現:福井県立藤島高等学校)を卒業。
1919年(大正8年)、大阪の住友電線製造所(現:住友電気工業)に入社。俳句雑誌『ホトトギス』に投句し、高浜虚子(たかはま きょし)に師事する。
1922年(大正11年)、『山茶花(さざんか)』創刊に参加。後に同誌の選者となる。1945年(昭和20年)に上京、翌1946年(昭和21年)に『雪解(ゆきげ)』を創刊・主宰する。
1967年(昭和42年)、句集『三露(さんろ)』などの功績により第1回「蛇笏(だこつ)賞」を受賞。1979年(昭和54年)、「勲四等旭日章」を受章。俳人協会副会長を務める。
1983年(昭和58年)6月29日、81歳で死去。句集『雪解』『寒林』『雲坂』『雁列』『寒柝』『花幽』『自選自解・皆吉爽雨句集』の他、著書『花鳥開眼』『わが俳句作法』『皆吉爽雨著作集 全5巻』『近世秀句』などがある。