福岡県福岡市で毎年小学一年生に、その花を見に家へ帰ろうと呼び掛けて夕顔の種を贈る「夕顔運動」などの社会貢献活動を行っている夕顔憶良会が制定。
同会は子供を思う親心を詠んだことで知られる奈良時代の歌人・山上憶良(やまのうえ の おくら)を敬愛しており、記念日を通してその心を後世に伝えていくことが目的。
日付は、山上憶良が「子らを思う歌」を詠んだとされる日の神亀5年(728年)7月21日から。記念日は2024年(令和6年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
夕顔(ユウガオ)は、ウリ科ユウガオ属の植物で、蔓性一年草。原産地は北アフリカまたはインド。古くから日本でも栽培されていたとされるが、何時どの様に伝来したかは分かっていない。
夏の夕方に白い花を咲かせ、翌日の午前中にしぼんでしまう。同会では「夕顔の花が咲くまでに家に帰ろう」と優しく呼び掛けている。
ユウガオはアサガオ・ヒルガオ・ヨルガオに対して命名された名であるが、アサガオ・ヒルガオ・ヨルガオはいずれもヒルガオ科の植物であり、ウリ科のユウガオとは直接の類縁関係はない。
大きな果実を実らせることが特徴。同じく大きな実を実らせるヒョウタンはユウガオと同一種である。天日で乾燥させた干瓢(かんぴょう)は、ほのかな甘みがある。
山上憶良(やまのうえ の おくら)は、奈良時代初期の貴族・歌人。名は山於億良とも記される。姓は臣。官位は従五位下・筑前守。主君は文武天皇→元明天皇→元正天皇→聖武天皇。
春日氏の一族にあたる皇別氏族の山上氏(山上臣)の出自とされ、山上氏の祖は山上健豆(やまのうえ の たけず)とされる。山上の名称は大和国添上郡山辺郷の地名に由来するとされる。
大宝元年(701年)第八次遣唐使の少録に任ぜられ、翌年の大宝2年(702年)唐に渡り儒教や仏教など最新の学問を研鑽する。この時の冠位は無位。
和銅7年(714年)正六位下から従五位下に叙爵し、霊亀2年(716年)伯耆守に任ぜられる。養老5年(721年)佐為王・紀男人らと共に、東宮・首皇子(のち聖武天皇)の侍講として、退朝の後に東宮に侍すよう命じられる。
神亀3年(726年)頃筑前守に任ぜられ任国に下向。神亀5年(728年)頃までに大宰帥として大宰府に着任した大伴旅人と共に、筑紫歌壇(つくしかだん)を形成した。天平4年(732年)頃に筑前守任期を終えて帰京。
天平5年(733年)6月に「老身に病を重ね、年を経て辛苦しみ、また児等を思ふ歌」を、また同じ頃に藤原八束(ふじわら の やつか)が見舞いに遣わせた河辺東人(かわべ の あずまひと)に対して「沈痾る時の歌」を詠んでおり、以降の和歌作品が伝わらないことから、まもなく病死したとされる。
仏教や儒教の思想に傾倒していたことから、死や貧、老、病などといったものに敏感で、かつ社会的な矛盾を鋭く観察していた。
そのため、官人という立場にありながら、重税に喘ぐ農民や防人に取られる夫を見守る妻など、家族への愛情、農民の貧しさなど、社会的な優しさや弱者を鋭く観察した歌を多数詠んでおり、当時としては異色の社会派歌人として知られる。
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