1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍のB29爆撃機エノラ・ゲイが、広島市上空約9600メートルで世界初の原子爆弾リトルボーイを投下し、上空約600メートルで爆発した。
広島市街は壊滅し、放射線による急性障害が一応おさまった1945年12月末までに約14万人が死亡したと推計されている。当時の広島市の人口は約35万であった。
この歴史的悲劇から人類は目をそむけることなく、犠牲となった多くの人々の霊を慰め、世界平和を祈る日として広島市では「平和記念日」とし、この日に原爆慰霊碑の前で「平和記念式典」が行われる。
平和記念式典において、原爆が投下された午前8時15分に平和の鐘やサイレンを鳴らし、原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷が行われる。その後、広島市長による平和宣言、子どもによる平和への誓いが行われるのが通例である。
一般的にこの日は「広島原爆の日」と呼ばれることが多い。また、広島市では、この日8月6日を「ヒロシマ・デー」、8月9日を「ナガサキ・デー」として記念日とするよう、平和市長会議に加盟する国や都市に呼びかけている。
広島市に対しての原子爆弾の実戦使用は、人類史上初の都市に対する核攻撃である。原爆投下による被爆者の人数は約56万人にも上る。また、わずか3日後の1945年8月9日には、長崎市へも原子爆弾が投下された。これに由来して8月9日は「ながさき平和の日」となっている。
爆心地近くには「原爆ドーム」があり、原子爆弾の悲惨さを今に伝える建造物となっている。原爆ドームは、もともと広島県の様々な物産を展示するための広島県物産陳列館として開館され、戦時中から原爆投下時までは広島県産業奨励館と呼ばれていた。
原爆ドームは現在では「広島平和記念碑」とも呼ばれる。1996年(平成8年)12月5日にユネスコの世界文化遺産への登録が決定された。平和を訴える記念碑であり、人類が犯した悲惨な出来事を伝える遺産として「負の世界遺産」と呼ばれている。
この日8月6日の夕方から、平和記念日の特別な行事として「とうろう流し」が行われる。親族や知人を原爆で失った遺族や市民たちが、戦後に原爆の犠牲者を追悼するために手作りのとうろうを川に流したのが始まりとされる。
場所は原爆ドームの前を流れる元安川(もとやすがわ)で、それぞれとうろうに平和への祈りを込めたメッセージを書き、そのとうろうを川へ流す。川とその周辺はとうろうの幻想的な灯りに包まれる。