1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、アメリカ軍のB29爆撃機ボックス・カーが原子爆弾ファットマンを投下し、長崎市松山町の500メートル上空で爆発した。
広島に次いで史上2番目の原子爆弾で、当時の長崎市の推定人口24万人のうち約7万4千人の市民が死亡した。また、建物は約36%が全焼または全半壊した。2020年(令和2年)8月9日時点で、長崎で被爆して亡くなった人たちを記した原爆死没者名簿の登載者数は18万5982人となっている。
原爆投下から50年を迎えた1995年(平成7年)に、長崎市ではこの日8月9日を「ながさき平和の日」に制定したという情報もあるが、一般的にこの日は「長崎原爆の日」と呼ばれることが多い。
また、この日8月9日には長崎市松山町にある平和公園において「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(長崎平和祈念式典)が行われ、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けている。
平和祈念式典では、原爆が投下された午前11時2分に長崎の鐘やサイレンを鳴らし、原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷が捧げられる。その後、長崎市長による平和宣言、平和への誓いが行われるのが通例である。
平和公園には、平和祈念像や平和の鐘、平和の泉、折鶴の塔、原爆落下中心碑、長崎原爆資料館、平和を象徴するモニュメントなどが配置されている。平和祈念像は、被爆10周年の記念行事の一環として建設され、1955年(昭和30年)に完成した。平和公園内の願いのゾーンに位置する。
長崎県南高来郡旧南有馬町(現:南島原市)生まれの彫刻家・北村西望(きたむら せいぼう、1884~1987年)の制作で、像は高さ9.7メートル、台座の高さ3.9メートル、重さ約30トン。
像のモデルは徳島県脇町出身で柔道・レスリングなどの指導者であり、陸軍大尉として従軍経験のある吉田廣一(よしだ ひろいち、1918~1967年)である。何事も1番でなければ気が済まないという性格から「先頭」を意味する「せんとうはん」の愛称がある。
関連する記念日として、1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島市に世界初の原子爆弾が投下され、爆発したことに由来して、8月6日は「広島平和記念日」となっている。