広島県福山市が制定。
日付は福山城の完成を幕府に報告したとされる1622年(元和8年)8月28日から。
同市は2022年(令和4年)の福山城築城400年を契機に、先人たちの歩みや大切にしてきた思いを振り返り、市民の心を一つにする機会として記念事業を行っている。記念日を通して、市民がより一層、福山城に愛着を持ち、福山城が市民の誇りとなることが目的。
記念日は2024年(令和6年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日には築城を記念した祝祭イベントが実施され、福山城の魅力にふれる機会となっている。
福山市は、広島県の最東部、備後地域にある市。広島市と岡山市の中間に位置する。県内では広島市に次ぐ人口で、44万7千人(2025年4月1日時点)となっている。1998年(平成10年)に中四国地方で2番目の中核市に指定された。
世界最大級の銑鋼一貫製鉄所(JFEスチール)を抱える重工業都市であり、瀬戸内工業地域を構成している。また、高い国内シェアを持つ鉄工・金属加工関連産業、繊維、機械製造企業が集積する。沼隈半島の先端に位置する鞆の浦(とものうら)は、古代より「潮待ちの港」として知られる。
福山城は、広島県福山市丸之内1丁目にあった日本の城。城跡は国の史跡に指定されている。久松城(ひさまつじょう)や葦陽城(いようじょう)とも呼ばれる。日本における近世城郭円熟期の代表的な遺構であり、2006年(平成18年)2月13日、日本100名城に選定された。
福山駅の新幹線ホームから間近に見える全国的にも珍しい城。徳川家康のいとこである水野勝成(みずの かつなり)が備後10万石の領主として入封、築城し、当時、石高に比して破格の規模を誇った。廃藩置県まで藩政の中心だった。
現在、城郭の中には、天守・月見櫓・御湯殿など様々な建造物がある。中でも伏見櫓と筋鉄御門は、1622年の福山城築城にあたり将軍・徳川秀忠から拝領したもので、国重要文化財にもなっている。伏見櫓は、1954年(昭和29年)の解体修理の時、梁に「松ノ丸ノ東やく(ら)」の陰刻が発見され、京都の伏見城から移建したことが明らかになった。
天守は、1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、1966年(昭和41年)の市制施行50周年記念事業で再建された。また、当時の福山城の天守北側には、防御力を上げるための鉄板が張られていたことから、2022年8月に築城400年を迎えるにあたり、全国からの寄付により全国唯一といわれる鉄板張りなどの福山城天守の外観復元をはじめとした「令和の大普請」が完了した。
再建された天守内部は福山市立福山城博物館として利用され、天守最上階の回縁からは市街を360度見渡せ、晴れた日には瀬戸内海を望むこともできる。