1948年(昭和23年)のこの日、配給制だったマッチの自由販売が認められた。
1938年(昭和13年)、綿糸配給統制規則によって国内綿糸の消費量が規制されたのに始まり、以後、1939年の電力調整令、1940年の砂糖・マッチの切符制、1941年の米穀配給制、1942年の衣料総合切符制と続いた。戦争の長期化によるもので、日用品から生産資材に至るほとんどの物資が統制配給の対象となっていた。
マッチ(match)は、細長い木片や厚紙などの可燃物質の先端に、摩擦で発火する物質をつけた道具。マッチ棒とも呼ばれ、火を得るために使用される。漢字では「燐寸」と書く。
マッチはリン(燐)の燃えやすい性質を利用している。マッチの種類としては、どこにこすりつけても発火する「摩擦マッチ」と、そうではない「安全マッチ」がある。
摩擦マッチを最初に発明したのは、イギリスの化学者ジョン・ウォーカー(John Walker、1781~1859年)である。薬剤師でもあったウォーカーは、1826年に偶然にも摩擦による発火を発見し、翌1827年に「friction lights」の名称で摩擦マッチの販売を始め、多くを売り上げた。「friction」は「摩擦、擦れ、衝突」という意味。
現在の一般的なマッチは、マッチ箱の側面がヤスリ状の摩擦面になっており、マッチ棒の先端の発火部をこすりつけることで火を発する。これは安全マッチと呼ばれ、19世紀半ばに登場した。マッチ棒の頭薬に塩素酸カリウムを、マッチ箱の側薬に赤燐を使用している。