晩翠忌(10月19日 記念日)

明治~昭和時代の詩人・英文学者の土井晩翠(どい ばんすい、1871~1952年)の忌日。

土井晩翠

土井晩翠について

1871年(明治4年)12月5日、仙台県仙台北鍛治町(現:宮城県仙台市青葉区木町通)に長男として生まれる。本名は林吉(りんきち)。元は姓の読みは「つちい」だが、後に「どい」に改称。家は富裕な質屋。父は挙芳と号し和歌・俳諧などの文学趣味を持つ。

幼少期より、父の影響で『水滸伝』『三国志』『十八史略』『八犬伝』『太閤記』などに親しみ、『新体詩抄』の影響を受ける。仙台市の第二高等中学校(東北大学の前身)を経て、1897年(明治30年)に東京帝国大学英文科を卒業。大学院に進学。小泉八雲(こいずみ やくも)らに師事。

在学中から雑誌『帝国文学』の編集委員となり、作品を発表。1899年(明治32年)、高山樗牛(たかやま ちょぎゅう)の働きかけで第一詩集『天地有情(てんちうじょう)』を刊行。新体詩人として地位を確立。男性的な漢詩調の詩風で、女性的な詩風の島崎藤村(しまざき とうそん)と並び称される。

1898年(明治31年)、東京音楽学校(現:東京芸術大学)編『中学唱歌』のために『荒城の月(こうじょうのつき)』を作詞。滝廉太郎(たき れんたろう)の作曲で広く知られる。

1900年(明治33年)、仙台に戻り、母校である第二高等学校の教授となる。翌1901年(明治34年)、第二詩集『暁鐘(ぎょうしょう)』を刊行。同年からヨーロッパに遊学。1906年(明治39年)、第三詩集『東海遊子吟(とうかいゆうしぎん)』を刊行。

戦後の1947年(昭和22年)、日本芸術院会員に選出。1950年(昭和25年)、詩人としては初めて文化勲章を受章。文化功労者、仙台市名誉市民に選出される。

1952年(昭和27年)10月19日、急性肺炎のため死去。80歳。仙台市により市葬され、墓は同市若林区の大林寺(だいりんじ)にある。

その他の代表作に叙事詩『星落秋風五丈原(ほしおつしゅうふうごじょうげん)』(1898年)がある。校歌・寮歌を数多く作詞し、ホメロスの『イーリアス』(1940年)や『オヂュッセーア』(1943年)の翻訳などもある。

リンクWikipediaコトバンク

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カテゴリー「10月の記念日」「今日は何の日

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