1637年(寛永14年)のこの日、過酷な年貢の取立てやキリシタン弾圧に耐えかねた島原の領民が代官・林兵左衛門を殺害し、「島原の乱」が勃発した。
江戸時代初期に起こった日本の歴史上最も大規模な一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。「島原・天草の乱」「島原・天草一揆」とも呼ばれる。一揆軍の総大将はキリシタンの間でカリスマ的な人気を得ていた当時16歳の少年・天草四郎(益田時貞)であった。
従来、信仰的側面は表面上のもので、あくまで厳しい収奪に反発した一揆であるというのが定説であったが、事態の推移から、単なる一揆とする見方では説明がつかず、宗教的な反乱という側面を再評価する説が出ている。鎮圧の1年半後にはポルトガル人が日本から追放され、いわゆる「鎖国」が始まった。
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