1931年(昭和6年)のこの日、神宮競技場で行われた第6回明治神宮体育大会で、日本初の世界新記録(南部忠平の走り幅跳び7m98、織田幹雄の三段跳び15m58)が誕生した。
明治神宮体育大会は、明治神宮競技大会や明治神宮国民体育大会とも称され、「明治天皇の聖徳を憬仰(けいこう:偉大なものを敬い慕う)し、国民の心身の鍛練、精神の作興に資す」ことを目的に、1924年(大正13年)から1943年(昭和18年)に14回にわたって行われた総合競技大会。主催者は大日本体育協会(現:日本スポーツ協会)で、現在の「国民体育大会」(国体)を創設するにあたって影響を与えた大会である。
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