昭和~平成時代の小説家・詩人の中井英夫(なかい ひでお、1922~1993年)の忌日。
「黒鳥忌(こくちょうき)」の名称は、中井が自宅を「黒鳥館」、自身を「黒鳥館主人」と呼んでいたことにちなむ。
1922年(大正11年)9月17日、東京市滝野川区田端(現:東京都北区田端)に生まれる。父・中井猛之進(なかい たけのしん)は、植物学者で国立科学博物館・館長、インドネシアのボゴール植物園・園長、小石川植物園・園長などを歴任した東京帝国大学名誉教授。
生家は小説家・芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)の自宅の近所で、自殺直前の芥川の自宅に何回か遊びに行ったことがあるという。東京大学文学部言語学科を中退。
日本短歌社に勤務、その後、角川書店に入社。短歌雑誌の編集の傍ら、歌人の塚本邦雄(つかもと くにお)・寺山修司(てらやま しゅうじ)・春日井建(かすがい けん)など多くの若い才能を見出し育てる。
1964年(昭和39年)、塔晶夫(とう あきお)名義で長編小説『虚無への供物(きょむへのくもつ)』を刊行。後にアンチ・ミステリーの傑作として高く評価され、夢野久作(ゆめの きゅうさく)の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎(おぐり むしたろう)の『黒死館殺人事件』とともに日本推理小説の三大奇書に数えられる。
その後、『見知らぬ旗』(1971年)や『幻想博物館』(1972年)などを発表。1974年(昭和49年)、『悪夢の骨牌(カルタ)』(1973年)で第2回泉鏡花文学賞を受賞する。
1993年(平成5年)12月10日(金)、肝不全のため東京都日野市の病院にて死去。71歳。奇しくも忌日は『虚無への供物』開巻と同日・同曜である。
その他の著書として、小説『黒鳥の囁き(こくちょうのささやき)』(1974年)や『光のアダム』(1978年)、『月蝕領宣言(げっしょくりょうせんげん)』(1979年)、短歌評論『黒衣の短歌史』(1971年)、詩集『眠るひとへの哀歌(あいか)』(1972年)などがある。